子育てと息抜き / Child-raising and short break

電通問題もなんのその、仕事に忙殺されながらも、家族との時間、自分の息抜きの時間について、考えたこと、実践してみたことを書いています。

子どもの教育(2)

平昌オリンピック、日本時間で夜中の放送にもかかわらずニュースでも大きく取り上げられ大盛況ですね。フィギュア・スケートの羽生選手の完全復活がこの流れを後押ししていますし。

一部メディアでは、日本とほとんど時差のない平昌での開催でも放送時間が夜中なのは、欧米諸国の昼の時間に合わせて、それらの視聴率を上げるねらいがあるようです。欧米諸国の視聴率を上げることに成功したかどうかは定かではありませんが、これだけ日本で盛り上がっていることを考えれば、日本の夜中の放送であっても国内の視聴率は相応に確保できるのでしょうからTV局関係者の方はひと安心というところでしょうか。

 

さて、子どもの教育第2弾。前回の記事では子どもの教育に取り組むにあたり、大切にしている六つのことについて書きました。今回はそのうちの「1. 奉仕の心を持つこと」について、もう少し掘り下げて書きたいと思います。

奉仕の心を持つこと

自分ではない誰かのために利害を捨てて尽くすことは、大人でもなかなかできることではありません。一方で、年を重ねるごとにいまの生活が多くの人の支えがあって成り立っていることを強く感じるようになります。

うまく想像できない人は自分が死んだときに自分のことを思って泣いてくれる人、そこまでいかなくても心配したり、気に掛けてくれる人というのは必ずいるはずです。普段なかなか意識することができないかもしれませんが、そういう自分の「周りの人たち」と自然と上手に生きていくためにも大切な心持ちだと思います。

 堅苦しいことを書きましたが、実践することは簡単なことからにしています。例えば、マンション住まいなら、共同スペースの清掃を手伝うとか。先日も我が家では、マンションの中庭の雪かきを子どもたちと一緒に一時間ほど実施しました。小学生と保育園児ですから、あまりたくさんのことはできませんが、「これで配達屋さんの車が通れるようになったね」という言葉を子どもたちから引き出すことができたのは大きな収穫だったなと思います。他にも近所のお年寄りのために、駐車場の重い金属製の扉を開けてあげるですとか、そうした小さなことから始めるようにしています。

 それから、このことには子どもの教育を考えるうえでもう一つねらいがあります。それは今後子どもたちが人生を生きていく中で、苦境に立たされ、あるいは大きな試練に立ち向かう中で、肉体的、精神的な苦痛に直面することがあると思います。受験やスポーツの大会、仕事といった実生活の中では幾度となく、経験することになります。その時々をやり抜く、あるいは切り抜ける際に精神的な支えになってくれることの一つが奉仕の心を実践してきたという自信だと思うからです。自分のために、家族のために、チームのために、地域のためになどその範囲が広がっても具体的に相手をイメージできるのであれば、大きな支えになりますし、また、その人たちの中にはその考え方に賛同して応援してくれる人も現れるはずです。

外に開かれた心を持つことで得られる教育効果は計り知れません。

 

今回は、「奉仕の心を持つこと」について書きました。このことを大切にすると決めたのは恩師の言葉だったことも大きいのですが、ノブレス・オブリージュという考えを中学生で知り、自分なりに解釈する中でやはり人生を豊かにするために重要だと考えるようになったからです。いまの時代、高貴な身分ということだけではなく、誰かより少しでも「持てるもの」が分相応より少しだけ大きな「義務」を果たしていくことは素敵なことだと思います。この言葉と出会わせてくれた漫画『ジョジョの奇妙な冒険』と歴史小説ローマ人の物語』に感謝。

 

さて、そろそろ夕食の炒飯と中華スープの準備があるので今日はこの辺で失礼します。今夜は、ワインよりビール!